終わりを考える
自分より弱いものに対して怒りで我を忘れてしまう。心臓の音がうるさいくらいに大きい。
未来の話を、夢や不安を語れる人たちの話を聞いて、自分には今現在、目の前の事にしか思考をさけない異常さに気がついた。
脳味噌の容量が完全に足りていない。
地元がなくなってしまった。
実家を売ってから約一年
地元に戻った時に初めて実家を見に行った
地元に車で向かっている途中は懐かしい景色に心が躍った。あそこの公園は◯◯したな、あの家の◯◯君はまだ住んでいるんだろうか。
なんて思いつつ、実家があった場所についた。
そこにはリフォームされてきれいに整えられた面影はあるが別の建物が建っていた。
気がついたら楽しかったことや悲しかった事に対してひどいことをしていたこととか雑に扱ってしまったことを思い出して号泣していた。
あの町あの家あの周辺は僕のことを待っていてくれて包み込んでくれて優しくしてくれていたんだなと離れて手放してから初めて気づいた
ワンピースのゴーイングメリー号の話ではないけれど、家の形が変わってしまった事で、初めて失ったことをしった。
なくなって手放してしまったものを新たに得るのか新しく得るものを大事に育てていくのか
どちらが間違いでもないしどちらが正解でもないそうやって皆間違いや後悔を感じて進んでいこう。
今まで一緒に成長してくれて守ってくれてありがとう。
信念を持つということ
今後所属する団体の長にこんな話をされた。
元々期待していないし、信用もしていない。そぐわないと思ったらいつでも首を切る。
でも、だからこそ、今自分ができることに真摯に向き合って、しっかりこの土地を明るく楽しく住みよい場所にするべく頑張って信用を勝ち取ってくれな。
なんとも力強く、この土地に長く住んできている人間の言葉だと感じた。
自分の立場は、長からしたらうさんくさくて信用ならない。それでも受け入れてやるしチャンスもやるよ。と。
ここまでしっかりはっきり言葉にして伝えてもらうのはとても気持ちが良く素敵だ。
顔や言葉だけが笑顔で内心は全く笑っていないそんな人よりよっぽど真摯だし我があり強い。
この人に認められるぐらい自分が頑張れれば、自分のことを好きになれるな。なんとなくそんな気がした。
ふとした瞬間に
人と人は、パズルのピースのような形をしている。
ぴったりはまる人もいれば絶対にはまらない人もいる。
ぱっちりとはまる事はとても素晴らしい事だ。そんな人を見つけたなら、一生涯大事にしていきたいと思う。
ただまあそれが自分からみてハマっている場合もあるのだけれど。
この人とは馬が合わない人がいる。
なぜだかその人とイベントをやることになってしまって、明日その打ち合わせがある。
僕はどうやら思いやりがない人が好きになれないようだ。それか、自分のペースを相手に強要する人か。あと、よく知りもしないのに見下す人。
ただ、その馬の合わない人は嫌いだけど、感謝もしている。
とことん合わないもんだから、やりとりを思い出しては腹を立てる。腹がたつことなんてここ数年なかったから生きる力が湧いた気がするのだ。
あの人にだけは絶対に負けない。
そんな想いになれるのはいつぶりだろうか。
いつしか、諦める事がくせになってしまっていたからな。
いつしかじゃないな。明確にいつだかわかる。
自分の好意の気持ちをある意味押し殺して過ごしていて、それにある意味慣れてしまったのだ。
僕はもっと熱い男に戻りたい。
戻るでは弱いな。
熱い男を作り出すのだ。
熱狂と生について
他人に対して心を動かしている場合ではない。
と、いうと、語弊があるけれど、実際そうなっている。
向き合うべきなのは自分であり、自分自身が結局どうなりたいかで物事を考える必要がある。
ただ、ふとしたときな頭に浮かぶあの子の事を忘れてしまいたいわけではなく、
それはそれとして置いておいて、自分がいかに自分の軸を持ち生きられるか、という事だ。
それとハッと気づいてしまったのだけれど、
生きるという事を、ただ息を吸ってご飯を食べてセックスをして寝る。(セックスはしていないが)という最低限の生命維持をすることだと考えていた節がある。
だからこそ最近は自分は生きていなかったんだなとも感じる。
心を燃やして、熱狂して、生きる。
想いはたぎらせなければいけないし、
諦めていいことなんて何もない。
諦める事が大人になる事なんだ、なんてクソ食らえなんだ。
君が好きだと叫びたい
叫びたい。ではだめなのだ。
どれだけしっかり叫べるかが大事なのだ。
今思えば、過去を振り返れば重要な場面で、自分は傷を負うことを恐れていた。
守れば守るほど、外傷はなくても心は傷を負うのにも関わらず、ひたすらに他人の顔色ばかりをみて、ただやり過ごして生きてきた。
いまさら気づくなんて、なんて思いはなくはないけれど、
気づけてしまったもんだからこれからはいきやすい。
傷なんか恐れて後悔残るぐらいなら、
どんどん傷をつけていく。
狂っているほどの熱意がないと何もなしえぬまま何も満足できぬまま、このまま死んでしまう。
今まで生きていても死んでも変わらないと思っていたのは、結局のところここ。
自分の人生を自分で舵取りしていなかったからだ
もううんざりだ。自分で舵取りして、回りからの評価なんて気にしないで生きていけば、強く強くなれる。
そして、作品を作っていた時もそうだったが、
そういう状態が一番魅力的で一番面白い。
面白い人生にするのはどれだけ自分が傷を負えるかなのだ。
守りに入った状態では何もできない。
自分自身のために攻める人生を送るのだ。
知らないうちに世界が進んでいる
自分が認識していない場所は時間が止まっていると思っていた。
正確には、変化がないものだと思っていた。
だから、自分が認識をやめてしまえば、きっと彼女は彼氏と末永く幸せになるんだ。と、なぜかそんな風に思っていた。
そして、自分自身のこのしんどさと思いは、自分だけで一生抱えていくものだと思っていた。
時間がたてば、場所が変われば、思いは消えていくものだと思っていた。
が、しかし、
時間や場所が変わったとしても、自分の中の思いやしんどさは変わることはなく、
自分の認識外は自分の想像以上に変化が起こっていた。
自分も確かに変化した。場所も環境も今まで以上に変化した。
しかし、明確に核になった部分が変わることはなく、それゆえ、心はいつでもここにあらず。そして、熱意も戻ってこない。
知らないうちに世界は進んでいる。
しかし、場所と環境を変えても自分は進むことはない。
自分が進めたかったら、
自分の核を変えていくしかないのだ。